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今日、録画してあった「居酒屋もへじ」という水谷豊と
松坂慶子のドラマを見た。そして、昼間なのに号泣。 こんなにドラマ見て泣いたの久しぶりだよ。 主役二人とも、大切な人を亡くした経験を持っていて、 自暴自棄になり、一旦は死を考えた事がある…という内容。 その中で「人は自分の為には生きられないけど、 人の為なら生きられる。寒くて困ってる人が居るから 何か編んであげてくれないかと言ったら、それまで何も する気がおきず、暗く鬱々と過ごしていた人が編み針を持って 編み始めた…」というようなセリフがあって、凄く判るかも!って。 結局、誰かに必要とされていたいんじゃないかな? 誰かへの責任があったり、誰かが頼ってくれたり、 そういうのが「生きている意味」みたいに感じるんじゃないかな? とある方のブログで同じような事が書いてあった。 自分が病気になってしまい、生きている意味も感じられなかったが、 奥さんが「あなたの事を看病しないといけないから、私が しっかりしないと!だから自分の健康に気をつけるようになったし、 さぼってた健康診断も受けた!」と嬉しそうに言ってるのを見て 「あぁ、自分が生きてる意味ってコレだ」って思ったって。 自分が生きてるから、奥さんが健康に気をつけて元気で居てくれる。 そんなのを読んだりしてまた感動していたのでした。 「自分が死んだら悲しむ人が居る」程度じゃぁ、なかなか じゃぁ生きないと!とはなりにくいけど、「私が生きてる事で この人が救われる!」だったら頑張れちゃうかもねぇ。 まぁ、意味も無く生きてても、死ぬのが面倒だったり怖かったり そういうんでも生きて行けるんですけど(笑)。 PR |
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