× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
||
私の母はとても合理的な考え方をする人です。
そして、計画的で隙の無い生活を望む人です。 考え方の一つの例としては、私が結婚する時、 私「お母さんは私が結婚しても泣かないタイプよね」 母「だって家族が増えて嬉しいのに何で泣くの?」 という会話をしました。 実際にうちの夫が行くと大変喜びます。 (私と顔の好みが似てるせいもあるかも?) そんな母ですので、小さい頃から合理的でした。 友達が皆ファミコンを持っていた小学生の頃、 私もファミコン欲しい!と言ったら 「良し買おう!」となって、スーパーカセットビジョンという 全く今では人類に存在すら忘れられているようなハードを 買ってくれました。 「ファミコンは他の家で遊べる。それなら違うゲームを 我が家が買えば、色々遊べて楽しいはず!」 こういう考え方です。有る意味正しいですが、 私(と弟)が欲しかったのはやっぱりファミコンです。 周りでピアノの習い事に行く子が多かった中、 両親が私に習わせたのは「琴」でした。 「家は和風家屋なんだからピアノは合わない」という理由で。 大人になった今となっては、琴も味があると思えますが 音楽の授業で楽譜が読める分だけリードのある ピアノさん達には憧れと嫉妬の入り混じった目を向けてました。 合唱コンクールでピアノを弾く子は私の中でスターでした。 遠足に行く時、皆はキティやアニメキャラの 赤やピンクの可愛いリュックに水筒を下げていました。 しかし私は「機能性に長けている」という理由で 持たされた黒のナップザックに、銀の魔法瓶。 確かに便利です。お茶も暖かいです。 しかし、やっぱりちょっと恥ずかしいのです。 私が「こういうのが欲しい」と訴えても、 「こっちの方が便利だ」と母は本気で子供の事を思って 言うので、かみ合わないまま育てられた。 これには、うちが学校の通学圏内の一番遠い端っこに 家があったというのも多分に関係しているのだと思う。 母は他の子供がどんな物を着て、どんな遊びをしてるのか 余り知る機会が無かったんだと思う。 今となっては「あの時こうだった、あぁだった」と 母に言ってはいるが「そんな事になってるとは思いもせず 御免ねぇ」と謝ってくれるので責めるつもりはない。 ただただ、「人とちょっと違う子」に育ったのは 私のせいじゃだけじゃないと言いたい訳だ(笑)。 良く考えると、母も普通の人っぽい皮をかぶっているが 相当変わった人なのだと気付く。 今の私は流行しているものが結構好きだ。 社会に迎合している。 PR |
||
この記事にコメントする
|
||